バスケットボールの父、ジェームス・ネイスミス氏が生まれた地アルモントへ行ってきた

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こんにちは、すんです。

2019年ももうすぐ終わりですね。今年のカナダは歴史に残るイベントが多かったように思います。やはり一番はトロントのNBAチーム、ラプターズの初優勝でしょう。カナダ中が一体となって盛り上がった瞬間を私は忘れられないでしょう。

あなたはバスケットボールを考えた人物をご存知でしょうか?私は知らなかったのですが、それがなんとカナダ人だったというのです!そのバスケットボールを考えた人物、James Naismith(ジェイムス・ネイスミス)さんが生まれた町、Almonte(アルモント)へ行ってきました。

Almonte Villageはトロントから車で4~5時間ほど、オタワへ向かう途中にあります。

James Naismith氏のWikipediaを見てみましょう。

ジェームズ・ネイスミス

バスケットボール考案

1891年、この学校の体育学部長ルーサー・ギューリック(Luther Gulick)は授業で学生たちに屋内競技の考案を課題として与えた。これは冬季のニューイングランドで学生たちが体を動かせるようにと意図したものだった。

学生らが提出した様々な案は、ラグビーやサッカーのように身体接触を含み、屋内には不向きのものが多かった。一方でギューリックはネイスミスが考案した競技に興味を持ち、2週間の期間を与えさらに詳細を詰めるようネイスミスに指示を出した。

ネイスミスが考え出した競技は、ボールを持ったまま走ってはならない、身体接触・衝突をしてはならない、競技者の頭上に水平のゴールを置く、競技者はいつでもボールを奪い、得点できる、という基本的なルールを持っていた。高い位置に水平のゴールを置くことで、得点するには力よりも正確さが必要になり、怪我の機会を少なくできると考えてのことだった。

この新しい競技は、ラグビー、サッカー、ラクロスがヒントになっているほか、ネイスミスが少年時代に近所の子供たちとした遊びの要素も盛り込まれていた。この遊びは物を置いてそれに石をぶつけるというものだった。

1891年12月21日、授業でこの競技を初めて行う時、たまたま手に入れた桃の籠を体育館内のバルコニーの下に据え付けてゴールとし、サッカーボールを使って1チーム9人で行われた。競技は学生の案により「バスケットボール」と名づけられた。

1892年、ネイスミスにより13の公式ルールが付け加えられ、バスケットボールは全米のYMCAで競技されるようになった。またスプリングフィールドのYMCA訓練校には留学生もおり、外国にも間もなく広まった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

当初は「たまたま手に入れた桃のかごとサッカーボールを使って行っていた」というところが面白いな~と思いました。それが今や世界的スポーツになり、NBA選手は大スターとなり凄まじい経済効果を起こし続けています。もしあなたが自分で考えた「遊び」を持っているならYouTubeで紹介してみるなどしてみたら、世界的スポーツになっちゃったりして!

こちらがAlmonte Villageの街並みです。

かわいい街ですね。11月に行ったのですが、紅葉が見られてより美しく見えました。

どこかにJames Naismithさんの像があると聞いてきました。

ありました!!小さな町なので像の存在感がすごい!

正面から撮ったもの。

背面。

横。

像が座っているベンチにあった像の説明です。

他の場所にも彼の功績について書かれた置物がありました。

彼の前にあるかごにはバスケットボールが入っていました。

となるとゴールは、、ありました!左後ろの方にありますが見えますでしょうか。

ただこの像が置かれているところ、坂になっているのであやまってボールを投げると下へ転がっていってしまうので気を付けてください笑

以上、バスケットボールの父、ジェームス・ネイスミス氏の生まれた町の紹介でした。あまりカナダ観光ガイドブックなどには取り上げられていないので、知らない人も多かったのでは??
ここまで読んでくださりありがとうございました。

Special Thanks:Yokoさん

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